戦国史:尼子家リプレイ【その9】

  • 2013.01.26 Saturday
  • 22:52

どうも、サブです。

今日も尼子家でリプレイです。
勢いに乗ったらあっという間でした。


加賀の朝倉家毛利元就軍団を差し向けたら、あっという間に降伏。
武田家が既に越中の富山城を落としている事から、越中・越後に侵攻する様命じました。

また、尼子義久率いる本隊も、伊勢に侵攻してきた織田家との戦闘を開始。

伊勢・美濃から織田家を追い出して、当主・織田信秀は討死、織田信長は捕虜となった時点であっさりと従属志願が通知されました。

受諾後、臣従要請して見事に傘下に入れ、いよいよ松永久秀軍団を組織。
尾張方面にいた直臣や織田家の家臣を軍団の下にいれて、甲斐・信濃に南から攻めると共に、相模や伊豆の北条領も視野に入れる。

焦った北条は同盟交渉の使者を遣す。

これを受諾し、武田攻めに集中する。
飛騨や美濃・甲斐の城全てを落とし、信濃の南半分を落とした所で北条との同盟を切った。
程無くして武田が降伏。時に1564年8月の事である。

残る北条家を三方向から攻め上げ、1年と少しで降伏。これは1566年1月の事。

あとは北条家から独立した大名を打ち滅ぼし、ようやく全国を統一。
1566年7月の事であった。



上記の図を見ると、やり遂げたという満足感を得られます。

尚、全体的な感想は別の日に書きます。

戦国史:尼子家リプレイ【その8】

  • 2013.01.25 Friday
  • 23:24

どうも、サブです。

膠着状態になるかと思われた六角家北畠家との戦闘は、我が軍の圧倒的物量両家の各臣従大名の独立により、前回の1561年9月の画像から1年で、六角家と北畠家の従属志願を応じたで一連の戦闘は終結しました。


(↑1562年9月の図)

これにより毛利元就軍団を北陸に配置し、当面は六角家から独立した朝倉家が籠もる加賀国を攻めさせる事とします。

東海には、上の図の時点では必要はありませんが、何れは松永久秀軍団を新たに配置しようかと思います。

戦国史:尼子家リプレイ【その7】

  • 2013.01.17 Thursday
  • 21:55

どうも、サブです。

お家騒動の様なごたごたも落ち着き、統一に向けて再び前進を始めた尼子家。

尼子義久率いる尼子軍は、既に窮地に陥っていた。

主に河内畠山家が割拠する紀伊国(主に和歌山)や大和(奈良)と、主に六角家が割拠する播磨(主に兵庫の一部)を同時侵攻せざるを得なくなり、苦戦を強いられる。

ただ、播磨の方は毛利元就率いる軍団と毛利隆元率いる軍勢が挟撃した結果、1561年の9月には播磨から駆逐する事に成功した。その上、かなりの捕虜を得て、六角家の戦力も大幅に低下した。


↑1561年9月時点。

一方、紀伊・大和の方面の河内畠山家はほぼ滅亡状態に陥ったが、伊勢(三重)の北畠家が大和に侵攻してきていた。

世代交代。

  • 2013.01.09 Wednesday
  • 22:13

どうも、サブです。

それは急な出来事だった。
四国の阿波を攻めていた時の事である。
君主である尼子晴久の下へ、ある報せがもたらされた。


尼子国久、病没。


確かに実際よりは長く働いてくれたが、戦力としてはまだまだ頼る事が多かったので、正直言って痛い出来事だった。
とはいえ、国久は晴久にとって目障りな存在であったのだが。

ただ、皮肉な事に晴久も国久を追う様に病没した。
1560年3月の事だった。


晴久の死は、急死とも言えるほど急であった為、指揮系統は麻痺した。
この時は、君主は晴久の叔父である国久の子、誠久が継ぐ事で指揮系統の麻痺は改善された。

しかし、数ヶ月した後、倫久義久秀久ら晴久の子が相次いで登場(実際は義久が次男で倫久、秀久と続くのだが(長男は夭折)、登場したのはこの順番なので、そのまま記載する。)し、結局は義久が君主となり、この騒動は終結した。

この頃になると和泉の堺を攻め落とし、三好家も風前の灯になっていた。
この勢いで畿内の鉄砲生産地を手に入れれば、我が尼子家の天下も、より近くなる事だろう。

戦国史:尼子家リプレイ【その6】

  • 2013.01.05 Saturday
  • 21:30

どうも、サブです。

ついに島津家を滅亡させ、松浦家など西北の諸家も滅ぼした。
これで西に憂いは無くなった。

九州を統一させた我が軍は、毛利元就の軍団を山陰に移動させ、本隊は四国から攻める事とした。


目標は上洛である。


本隊の侵攻目標は三好家である。
移動後に宣戦を布告して、いざ進撃。
圧倒的な戦力の為、すんなり落ちていく三好の諸城。また、攻撃を開始してから程無くして淡路の安宅家が独立したことにより、三好家は分断され、西側が攻め放題になり、多くの小大名が降伏し、また三好家も分断された西側は滅亡寸前となった。

ここで恐れるのは三好家六角家と手を結ぶ事である。

その為、山陰にいる毛利元就軍に六角家との対決を命じた。

戦国史:尼子家リプレイ【その5】

  • 2013.01.03 Thursday
  • 23:11

どうも、サブです。

筑後の下蒲池家と肥後の北部を治める阿蘇大宮司家が傘下に加わった。
孤立した肥前が我が領地になるのも近い。

一方、日向の本隊は島津軍を押し捲り、島津傘下の大名の鞍替えもあり、別働隊が肥前を平定する前に薩摩・大隅を平定してしまった。

あとは九州を完全に平定し、その後は東へと突き進み、夢にまで見た上洛を果たす。

戦国史:尼子家リプレイ【その4】

  • 2013.01.02 Wednesday
  • 23:59

どうも、サブです。

新年最初の通常更新は尼子で開始します。

現在(1554年12月)の情勢としては以下の通りです。


九州の南と東を中心とした黄色の部分が島津領で、北東の白色が我が尼子領。また、西北の群雄割拠地帯が存在する。
これらの特に松浦領が港を多く所有しているので、是が非でも取りたいところ。

取り敢えず、毛利元就に軍団長に任命して軍団を創設し、西北の軍勢を任せる事に。
これを期に島津に集中攻撃を図る。

豊後の府内城を攻め落とし、四国と九州の島津領を分断。軍勢の大半は四国を攻めていたので、袋の鼠状態に。これらを踏み潰して四国の島津領を消滅。それと同時に土佐の一条家を従属させた。

四国の尼子勢を九州の日向攻めに集中させる事により、一気に九州平定が見えてきた。

この頃、山陰に六角家が攻めてきたので、同盟を締結。
畿内では三好河内畠山に加え、領地はやや小さいが細川京兆家がしのぎを削っている上に、六角が河内畠山に宣戦布告をしたので、暫くは混乱が続くものと思われる。

戦国史:尼子家リプレイ【その3】

  • 2012.12.22 Saturday
  • 22:25

どうも、サブです。

およそひと月ぶりの更新になりました、このカテゴリー。
流石にひと月も経てば、更新材料は増えます。


尼子家は想像以上に強かった。
ただ、大内家が九州は大分を拠点とする大友家と同盟を結ばなかったのが、幸いしたとも言える。

圧倒的な物量差で智謀の差を埋めた尼子家は、毛利を完全に滅ぼし、毛利元就を含むの大半の毛利家の面々を家臣に登用した。

その後、大内家に侵攻。
大友家との戦闘中でもあった大内家は、こちらに兵を送る余裕も無く、臣従大名が中心だった大内家は瓦解。
一気に地に落ちて行った。

しかし、島津家が薩摩・大隅・日向・豊後を次々と平定し、大友家と大内家がこれに臣従するという事態が発生。

四国は伊予の河野家を臣従させた尼子家は、同じく侵攻して来た三好家と同盟を結び、九州平定に全力を注ぐ事となった。

戦国史:尼子家リプレイ【その2】

  • 2012.11.25 Sunday
  • 22:17

どうも、サブです。

前回の記事にも書きましたが、大内が大友と同盟を結ぶのも怖いが、毛利の巨大化は最も恐れるべき事である。

その為、まずは毛利を叩く事にした。

毛利に無く、尼子にあるのは金と港くらいなもの。
兵士を大量に雇い、港を全力で動かす。

特に武力が高い、新宮党の面子には他よりも多く兵を預ける。

幸いな事に毛利の城はそれほど大きくないので、少ない兵士で陽動がてら幾つかの城を攻めて、本隊はその中で最も敵が少なく、城兵の少ない城を落とす。

そういった方法で攻め続けていると、当然ながら両家共に疲弊してくるのですが、そこは金=石高の高い方が持久戦では勝利するようで。

如何に(例えば毛利元就が)奇襲を仕掛けて来ようが、武力が高く、兵が圧倒的に多い尼子国久が総大将ならば、尼子国久たった一軍だけで(とは言え奇襲を受けていますが)武将20人の毛利軍を壊滅できるのです。


壊滅的打撃を与えたらこちらの物です。
大内には変わらず石見国内の七尾城で、少ない兵で大内家を刺激しない様に攻防を続けている。
刺激したら、途端に大友家と同盟を結ぶ恐れがある為である。


同盟国である庄家が、毛利家と同盟を結ぶ結ばないでは多少異なる。
結ばない事を天に祈りつつ、徹底的に攻め続けた。

戦国史:尼子家リプレイ【その1】

  • 2012.11.20 Tuesday
  • 21:42

どうも、サブです。

今日から尼子家でリプレイを開始します。

今回の尼子家は前回の斉藤家とは違い、武将がたくさんいます。
ただ、どれも智謀が低いのが残念な限りな訳で・・・。

ところで、尼子って「あまご」って読むんですね。
「あまこ」だとばかり思っていましたので少々驚きました。

さて、新宮党(しんぐうとう)という尼子家の中心勢力があるのですが、流石に中心勢力というだけあって、この戦国史でも中核を担っています。

当主である晴久の叔父・尼子国久が武力7智謀3、その嫡男・誠久が武力6智謀2、次男・豊久が武力5智謀1、三男・敬久が武力4智謀1という感じで、皆、尼子家のトップクラスの能力を持っています。


毛利と大内とは宿敵関係なので、その他の敵対大名との同盟を計画。
流石にどの大名家も尼子からの同盟締結を否とは言えないらしく、3つの勢力全てが締結に応じた。

以下が1550年4月の事である。


当然ながら大内家と毛利家は同盟関係にあるので、1対2の戦いになる。
大内家と敵対している九州の大友家と同盟をされれば、完全な1対2になるので、それだけは避けたい。

最初は大内家を極端に刺激しない様にして、毛利を徹底的に叩く事から始めよう。
毛利が大きくなったら、それこそ大変な事になる(^^;

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

プロ野球 順位表

プロ野球データFreak
セリーグ順位表
パリーグ順位表

ブログパーツ


ジオターゲティング

辺境のツイッター

ランキング(押して頂ければ励みになります^^)

アクセス解析

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM