夏は北へ、冬は南へ。

  • 2012.08.27 Monday
  • 22:50

どうも、サブです。

前回も書きましたが、夏は西ルーシ・バルカン・ドイツ等の北方を重点的に、冬はイタリア・イベリア・北アフリカ等の地中海沿岸を主に侵攻したお陰で、効率よく攻める事が出来ました。

最後の大国であるムワッヒド朝も、もはや敵ではなく、後退を余儀なくされている。


また、地中海以南を平定しようと思ったのだが、1207年9月にイングランドのジョン王の居るドイツのケルンを落城した時に、ジョン王が切腹してしまった。

もう少し生き延びて欲しかったが、後の祭りである。


ところで、私は初めて知ったのですが、1208年1月にフリードリヒ2世という人物がドイツに出現したんです。
その能力が、武7政6智10という最高の能力を持っているんですよ。

・・・次にこのシナリオでやる時は神聖ローマ帝国を選ぼうかな。


さて、ドイツ、フランスと踏み潰した後は、残るイギリス及びスカンジナビアに侵攻。
1208年3月にスウェーデンと同盟を破棄し、本格的に北方征伐に向かう。

再び冬将軍が強大な敵となるが、波状攻撃を行い、ついに全ての敵の駆逐に成功!!
臣従及び従属国すら存在しない、完全統一を達成したのです!
(↑完全に自己満足。)


鎌倉政権はユーラシア大陸を支配する大帝国となりました。


以上は、終了時に出るエンディングです。

尚、全体的な感想は、別の日に書きます。

時は流れて、ホラズム攻め。

  • 2012.08.26 Sunday
  • 21:58

どうも、サブです。

ホラズムとの同盟を一方的に打ち切り、攻めに転じたのは1202年4月の事。
あれだけ栄えていたゴール朝はもはや風前の灯となっている。



僅か8ヶ月でホラズムを葬った鎌倉政権。
次はアラビア半島に勢力を持つアッバース朝と、主に西アジアに勢力を持つセジュルク・トルコであるが、これらの勢力も鎌倉政権の前に為す術も無く後退を余儀なくされていく。



そうした中、悲劇が起こった。
1203年6月、源頼家がアラビア半島にあるバクダードの地で病死したのである。

その後の当主は、北条時政が就任した。
源実朝の元服を待って、その間時政が当主の代理を勤める。

畠山重忠らの不満が聞こえてくるようだ。
中には源頼家を暗殺したのは彼なのではないか、との噂もあったりなかったり。

そして、実朝が元服した。
5ヵ月後の1203年11月の事であった。
思ったよりも早かった気がするが、その後も北条一族の地位は磐石となっていく。
所謂、執権に任じられたのである。



さて、実朝が元服した時、どこに出現したのかというと、日本の鎌倉である。
前線は下の図をご覧頂ければ分かりますが、西アジアやらアラビア半島である為、数ヶ月間放置状態。
まあ、軍団を設立させれば済む話なんですが、そこは軍団を作らない事を通します。


その後、イングランドが台頭し、アイユーブ朝が衰退してくると、1204年4月にようやく実朝がペルシアに入り、軍の行動が可能になる。


(上は実朝到着時の全景)

イングランド王国の最盛期はこの頃かもしれない。
140万2115石という、この時点で2位だったのだから。

しかし、鎌倉政権(855万3502石)と隣接すると、3ヶ月余で一気に瓦解してしまう。
臣従・従属している国或いは領主が次々と反乱を起こした為である。


(イングランド王国140万2115石)

(イングランド王国108万0178石)

ところで、当時の王であるジョンは、規模こそ違いますが実際に国内で反乱を起こされたそうですね。


ただ、ここまで反乱が起きるとイングランド王国も風前の灯となる訳で。
国力がたった3ヶ月で108万0178石にまで転落したのだが、問題なのはそこではなく、交通である。
鎌倉政権は、ここぞとばかりにイングランド領を攻めつつ、同年11月には前線がイタリアのパレルモという要所を奪ったところで、教皇領と同盟を締結する。
これにより教皇領は南北に二分された。


(教皇領は南北に二分されました)

北条時政らは合議の末、とある作戦に出た。
ウラディミール大公国を踏み潰すというものである。
現在は同盟を結んでいるが、そろそろ潮時という意見が出たのだ。

1205年3月、ようやく目処がついた。
ウラディミール大公国との決別の時が来たのである。


(決別の時)

最大の難敵、冬将軍を味方につけたウラディミール大公国軍だったが、それも冬しか効果がなく、1206年7月に滅亡の時を迎えた。


(滅亡時の西ルーシ)

念の為にウラディミール大公国の滅亡後に、スウェーデンと同盟を結んだ。
そろそろ冬将軍が訪れる為だ。


(スウェーデンと同盟締結)

また、少し前になるが1205年12月には教皇領と決別した。
冬の間は地中海付近を主に攻めた為、効率良く攻撃が出来たものと思う。

1206年8月には、イングランドのジョン王が捕らえられたが、不憫に思った実朝が国に帰したり、重臣・畠山重忠が病死するなどしたが、正直言って臣下は揃っている。

ここまで来たら統一まであと僅かである。

南征後、西へ。

  • 2012.08.17 Friday
  • 22:30

どうも、サブです。

バガン朝領・大理を攻略し、フィリピン経由で独立勢力を踏み潰している最中に、アンコール朝との同盟を破棄。
その後、ラマ教チベット国を滅ぼし、チベットを平定すると、本格的に南征を開始した。

平定したのは、1199年1月の事だった。



8月にアンコール朝が滅亡。
西欧では、ロビン・フットが戦死した。


9月、まさかの頼朝急死。
私自身もそれを見た瞬間、時間が止まりました。
同時に、梶原景時も病死しました。

頼朝は史実より7ヶ月遅く、景時は5ヶ月早く旅立たれました。
頼朝はもう少し亡くなるのは早かったんですね(^^;
でも、急死には違いないようです。
勉強になりました。

それにしても、一気に2人も病死するとは・・・。
暗殺すら疑ってしまいます。
(現実では景時は病死ではないですが。)


11月に北条政子が鎌倉に出現。
源頼家を補佐すべく、海を渡りました。
尚、北条政子は2位タイの智謀8を持ち、日本人では唯一の智謀8です。
(1位や他の2位はモンゴル人。)


ところで、中央アジアとペルシアに跨るホラズム国は、我々鎌倉政権に大きく貢献してくれている。
というのも、ちょうどあの国が盾になってくれているのである。



上記の図はホラズムを中心とした図である。
尚、ホラズム国が白で、西北の赤い部分がウラディミール大公国。他の色は同盟国となっている。




また、上が中央アジアで、下がペルシアの図である。
先述の通り、ホラズムが見事に盾となっているので、大いに助かっている。
さらには、ウラディミール大公国とホラズムの戦力差は無く、暫く睨み合いが続くことになるだろう。

例えそれが崩れたとしても、それまでにはホラズムより東は平定、或いはそれに順ずるものになっていると思われます。

好機、今をおいて他にあらず。

  • 2012.08.06 Monday
  • 22:01

どうも、サブです。

時が経って1194年5月。
タタール領チャガンを落としてタタールを滅亡させた時、モンゴル軍は中央アジアとトルキスタン辺りで、ホラズム軍と激闘を繰り広げていた。



この時、頼朝は思った。
「好機、今をおいて他にあらず」と。

手始めに、モンゴルに従属しているジャラダン領ゴルゴナクに攻撃開始。
ちなみにケレイトもモンゴルに従属している。



しかし、ゴルゴナクを占領しても、モンゴルはこちらの戦況を理解していない様だった。
その後もモンゴルの中枢たる蒙古地域を蹂躙しても、モンゴル軍は僅かの兵しかこちらに送ってこなかった。



・・・あれれ?(^^;
こんなはずでは・・・。


蒙古地域をほぼ平定して、西のトルキスタンにも侵攻すると、モンゴルはようやくこちらの猛攻に気づいたらしく、チンギスハーン自らが戦線に立っていた。
1196年1月の事である。



しかし、兵力での差があり過ぎて、防戦一方になったモンゴルは、1197年8月に滅亡する。
敗残兵の中には、チンギス・ハーンの姿もあった。

思ったよりもあっさり終わってしまった対モンゴル戦。


(上はモンゴル滅亡直後の図。)

鎌倉政権はその後、カンクリと西カラハン朝を滅亡させた後、西のウラディミール大公国及びホラズムと同盟を締結し、アイヌと琉球、そしてラマ教チベット国に兵を送りつつ、南征の準備を始めていた。

目下の敵は北方に有り。

  • 2012.07.22 Sunday
  • 22:32

どうも、サブです。

臨安を落とし、我が勢力は石高のベスト5に名を連ねました。
まだ1都市を手に入れただけで、上位進出が果たせますので、あまり油断は出来ない感じではありますね。

下記は、1190年2月時点の石高ランキングのベスト5。

1位:モンゴル(14万3625石)
2位:金(13万5631石)
3位:アイユーブ朝(9万9925石)
4位:南宋(9万7982石)
5位:鎌倉政権(8万5670石)

この後に、ムワヒッド朝、ホラズム、イングランド王国と続きます。


今回は、臨安を落としたその後からスタートです。

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大陸進出。

  • 2012.07.09 Monday
  • 23:06

どうも、サブです。

鎌倉政権で始めた今回の戦国史。
我が領内の石高は、現在3万4819石です。

トップは南宋の12万7654石で、2位は金の12万1172石です。
3位はアイユーブ朝、4位はムワッヒド朝、5位がモンゴルという顔ぶれ。



上をご覧下さい。
中国の臨安が攻撃されています。

これは金の攻撃なのですが、本丸の侵攻度が72%と陥落寸前です。
これを逃しては、大陸進出は大分遅れます。

今回はそんな1189年10月からのスタートです。


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戦国史の草原の覇者をリプレイ開始。

  • 2012.06.20 Wednesday
  • 23:57

どうも、サブです。

何となく、戦国史のシナリオ【草原の覇者〜チンギス・ハーン〜】で主役のモンゴルではなく、鎌倉政権でリプレイ開始しました。

かつて、このシナリオで、モンゴルをプレイした事があるのですが、武将の質と量が物凄く良くて、ストレス無く且つスムーズにクリアしました。

このシナリオでの日本は鎌倉政権(石高2万4000石)ですので、機会があれば是非挑戦しようと思っていました。
今回、どの様なものか手探りではありますが、リプレイを開始したいと思います。


ちなみに、斉藤家はもういつでもクリア出来る状況な事もあり、やる気がなくなりました(^^;
ただ、機会があれば、きっちり終了させたいとは思っています。

それでは、続きからお進みくださいませ。

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