蜀末期に至った経緯について。

  • 2015.02.28 Saturday
  • 23:59
どうも、サブです。

諸事情により更新するなかなかタイミングを見つけられず、結局今月はこの更新で最後となりそうです。

 まずは、蜀が滅亡した263年の状況に至った経緯について書いていこうと思います。
 諸葛亮の死後、蜀は北伐をせずに内政に専念していましたが、253年に費イが刺殺され姜維が軍権を握ると北伐を再開しました。一進一退を繰り返していましたが、256年の段谷の戦いでの大敗は姜維の失敗の中で最たるものと言えます。この結果、経験豊富で貴重な将兵を1万近く失い、魏に比べると軍の力が目に見えて衰えていた蜀はそれが決定的になってしまいました。258年に諸葛誕の反乱に乗じて北伐を起こすと蜀国内では北伐に対する批判が高まり、4年間北伐を中止せざるを得なくなります。また、この年に陳祇が亡くなり黄皓が台頭してきました。
 262年に姜維は北伐を再開させるも撃退されます。それをきっかけに黄皓は諸葛センや董厥の同調もあって閻宇を姜維と交代させようとし、姜維は黄皓を除こうとします。いよいよ蜀は混乱ぶりは極まりました。

 さて、今回の目標は前回の劉禅に加えて黄皓の能力を向上させます。ただ、現在は魏との国力に圧倒的な差がありますので、それを縮まる事を最優先に考えています。

 

263年剣閣攻防と蜀の滅亡、始めます。

  • 2015.02.23 Monday
  • 00:25
どうも、サブです。

間が空いてしまいましたが、いよいよシナリオ10「剣閣攻防と蜀の滅亡」を始めます。
このシナリオは、263年7月という三国時代の末期で人材不足が各国で起こっており、特に蜀の人材不足が確定的になっています。
以前から始めたいとこのブログでも書いていましたが、およそ2年半も前に書いていたんですね。

また、今までこのブログに書いてきた三国志修離螢廛譽い倭瓦峠薺蕕濃呂瓩討い燭里任垢、今回は上級で始めてみました。
先述の通り蜀の人材不足が顕著なので、魏の人材が喉から手が出るほど欲しいところです。


さて、史実の蜀は263年11月に滅亡するのですが、内政をしているうちにいつの間にやら11月が過ぎていました。また、内政をしている間に、武力が最も高い姜維に父である先帝愛用の武器を授与。これで一騎討ちに勝てる確率が上がります。
そして、ついに12月上旬天水からトウ艾が45000の兵を率いてやってくる。漢中と陽平関を合わせても40000程度しか兵がいないが、トウ艾隊の陣形が井闌であった事が幸いしました。
直ちに呉に寿春を攻めるよう要請するとともに、羌にも天水への攻撃を要請。我が軍も姜維に30000を率いて迎撃を命じる。
姜維とトウ艾の一騎討ちが来た時は、手に汗握る展開にどうなるものかと思いましたが何とか勝利。翌264年1月中旬には撤退に追い込むことに成功し、ひと月ほど追撃するも絶えず救援が来るのでやむなく手を引きました。

その後しばらく内政をしている間に、呉が寿春から手を引いている事に気づきました。ちなみに寿春には10万余の兵力が駐屯しており、魏との国力の差を改めて痛感させられました。

3月上旬、今度は永安に襄陽の羊コ率いる48855の兵が井闌でやってくる。まさか襄陽から来るとは思っていなかったので殆どの兵を漢中方面に移送していましたが、念の為対呉の為に置いていた永安の兵が役に立ちます。ただ、15000しかいないので慌てて徴兵を行いつつ、呉に襄陽を攻める様に要請をしておきました。

3月下旬、羌が天水に攻撃を仕掛ける。3部隊で合計40000。
はっきり言って全く音沙汰が無かったので諦めていました。また、天水は兵が6万余と我が軍では対処が難しかったので、実際に行動に移してくれて助かりました。
4月上旬に江陵から陸抗率いる軍勢55000が襄陽に向けて攻撃を開始。襄陽に残るのは22000なので何とか落とせるかなと思いましたが、永安に向けて進軍していた羊コが襄陽に向けて撤退を開始。

羊コという危機が去ってくれて、取り敢えずはホッとしました。この間に態勢を整える必要が大いにあります。
ただ、人材が足りないので下手に領土を増やすと守り切れないという事で、現在は慎重に攻めていく事を考えています。

天下一統。

  • 2015.01.30 Friday
  • 23:50
どうも、サブです。

225年劉禅編、最後の更新となります。
山越を滅ぼしてから8か月後の245年10月上旬に孫登が亡くなり、孫和が跡を継ぎました。

劉禅は、山越の復興をし終えた246年3月中旬に江陵へ移動し、5月下旬に武陵を攻撃する為に出陣。呉の援軍が武陵に来たので、その援軍を6月中旬に撃破し、再度攻撃を考えていましたが、呉の傘下である柴桑から江津への攻撃があった為、8月上旬に一時撤兵。他の部隊に迎撃させる事も考えましたが、劉禅隊に経験値を稼がせる為にあえて劉禅隊が迎撃する事に。
そして、柴桑からの攻撃を防いだのち、今度はこちらから柴桑への攻撃を開始。11月上旬に陸口港を落とし、247年1月上旬に柴桑に攻撃開始。下旬に桂陽から兵10000の援軍を確認。それを撃破した後の2月中旬に城を陥落。
しばらく復興に尽力し、翌年の1月下旬に武陵を攻略。6月上旬には長沙、9月上旬に桂陽、10月上旬に零陵と次々と攻略。

さて、残るは交趾ただ一つ。ここには70000を超える兵士がおり要塞化していました。
そこで前哨とするべく零陵に残っていた兵士約60000に城塞の建設を命令。すると、交趾から51500の兵を連れて孫和がのこのこやってきました。陣形は井闌だったので、後詰の部隊を零陵に入れて、建設をし終えた劉禅率いる約60000と挟み撃ちにして撃破。残るは20000程でしたので、楽々と落とす事が出来ました。

■天下一統
やっと天下が統一されました。ただ、これからが本当の勝負です。今までやってきた事が試される時。
相国を姜維、大元帥が諸葛セン、西域都護を文鴦に任せ、後継者には劉センを据えて大陸制覇を目指してみました。

結果、大陸制覇の計画は途中で頓挫し、劉センと姜維は対立して国が二つに分かれてしまいました。
明らかにバッドエンドでした。エンディングに出てくる許劭に水軍熟練と相国の政治が足りないと言われてしまいました。

そこで、改めて調べてみると姜維の政治は私の勘違いで90を大幅に下回る79で、水軍熟練は基準から僅か1少ない事が判明しました。ただ、私の認識では水軍熟練さえしっかりしていればベストエンディングは達成するはずだと思いますので、水軍熟練>相国の政治能力、だと考えています。
さて、まずは諸葛センに諸葛亮の遺品セットを授与する事に。羽扇と四輪車と兵法二十四編をセットにして渡しました。また、呂氏春秋で政治の底上げをし、さらには丞相に就けました。これで諸葛センを相国にする事で、国家は安泰です。
また、僅か1少ない水軍熟練は一度訓練をする事で解消されます。

そして、再びの天下統一。
今度は相国を諸葛セン、大元帥を姜維、西域都護を文鴦、後継者には劉センを据えて大陸制覇を目指します。
相国と大元帥を交換しただけですが、結果は見事に大陸を制覇し、末永く国は続きました。
許劭からも申し分なしとのお言葉を頂きましたので、ベストエンディングだったものと思っています。

■劉禅の能力(アイテムを含む能力値)
統率102→102 武力67→69 知力76→76 政治50→50 習得27→29

そもそも期待はしていませんでしたが、それでも統率が100を超えるなど予想を上回る結果になりました。
それに、最後こそ能力の上昇があまり見られませんでしたが、最低能力値が政治の50と劉禅の様な初期能力でも大きく伸びる事が実証出来て非常に満足しています。また、今後263年の劉禅を行う上で大体の掴みを得る事が出来た事は大きいですね。

尚、次回からは263年のシナリオに挑戦していきたいと考えています。
長い間お付き合い頂き、誠にありがとうございました。

■おまけ
気になったので、大陸制覇型の『水軍熟練>相国の政治能力』を実証する為、水軍熟練を上げた状態で、姜維を相国にしてエンディングを迎えてみました。
すると、エンディングで上記と同じ様に許劭から申し分なしとのお言葉を頂きましたので、水軍熟練が規定を達していれば相国の政治能力は90を超えなくとも良いと実証されました。
次回以降の参考になりそうです。

山越は経験値稼ぎに。

  • 2015.01.29 Thursday
  • 21:49
どうも、サブです。

呉の建業、呉、会稽の三都市を落とした事により、必然的に宣戦布告してきた山越軍。
迎え撃つは劉禅と劉セン、姜維に文鴦そして諸葛セン。この5人を重点的に育てる事にしています。

山越が一部隊で攻め寄せているときには、一部隊で上記の5人で。二部隊以上の時は趙雲親子などの武将を投入。
会稽やその近くの港に攻め入られる事十数度。激戦に次ぐ激戦で、中でも姜維の歩兵・騎兵・弩兵熟練がいつの間にか限界の1000になり、これらを極めました。護符持ちの上昇幅は凄まじいですね。
また、熟練が1000になったのが原因なのか、姜維が山越の兵法をダメージ0で防ぐ事が次第に多くなり、その後の呉との戦闘を含めて6度も繰り返しました。また、それとは別に呉との戦闘で連射をダメージ0で防ぐ事もありました。熟練1000、恐るべし。

■山越討伐
その後の244年11月にいよいよ山越討伐を開始。激戦の末、残っている兵士が90000を切った山越は、武将の数から言ってもはや少し強い弱小勢力。この時を逃す術はない。
劉禅隊が建安に陣を、趙雲隊に警護を命じると、山越も迎撃部隊を差し向け、戦闘を始めました。
しかし、多勢に無勢。245年2月中旬に山越を陥落させました。

この一連の山越との交戦は、兵法の学習も兼ねて行われました。
育成ポイントも枯渇し始めた事もあり、特に100を超える様な上級兵法を与える事が難しくなったのが、そもそもの要因です。
ともかく、よく学習してくれました。特に劉禅が。やたら学習したんですよね。学習する確率についてはよく分かりませんが、山越討伐での劉禅はそれが多かったです。

倭・呉攻め。

  • 2015.01.23 Friday
  • 23:47
どうも、サブです。

劉禅率いる蜀軍は倭と呉両国と同時に相手出来るまでに成長しました。
劉禅も北海に拠点を移して倭軍の侵攻を自ら防いでおり、その倭軍の侵攻が一時的に止まった今、倭への侵攻を決断しようしていました。

■倭侵攻
239年10月上旬に倭侵攻を決意し、部隊は劉禅隊と諸葛亮隊が北海から、馬超隊が襄平から、呉懿隊と張苞隊そして関興隊が南皮から、馬岱隊が広陵港からそれぞれ出陣。倭軍も当然のごとく防戦に打って出たが為す術無く、同月下旬に末蘆港を攻略。そのまま勢いに乗って倭攻めを行い、11月中旬に倭を陥落させた。

■呉の3都市切り崩し
倭を復興させた蜀は240年12月中旬、いよいよ呉の東側を攻める事を決意。劉禅の号令の下、倭から進軍する蜀軍。
一方の劉禅隊は一足先に倭を出て尋陽にいた。自ら囮となって尋陽から阜陵へ向かう。
柴桑から阜陵へ呉が援軍を出すであろうと考えていた諸葛亮は、劉禅の副将として姜維を連れていく事を進言。劉禅はそれを採用した。
長江を渡って阜陵へ向かう際に呉が援軍を出してきたので、劉禅隊は反転してその援軍を攻撃。
水軍では呉の方が圧倒的だったのは昔の話。劉禅隊はそれを沈めた後、改めて阜陵を陥落させた。241年2月上旬であった。勢いに任せて建業を攻め、3月上旬にはこれを陥落させた。

それに先立って1月下旬に曲阿を落としていた諸葛亮隊ら等の10数万は一挙に呉と会稽を陥落。
当然のごとく山越とは外交をしていないので猛攻を仕掛けられているのだが、241年12月中旬には姜維が山越猛者と山越大王の二人を撃破するなど、それほど苦戦はしていない。

現時点での図は以下の通り。


あと少しで統一という時に、蜀に衝撃が起こります。

■丞相の死
丞相である諸葛亮が243年4月に亡くなりました。史実からすると大分長生きしたのですが、諸葛亮の死は少なからず痛い。趙雲らは未だに現役ですので、順番ではないようです。
また、同時に徐庶、徐盛、辛ヒが亡くなりました。一挙に4人も亡くなるのは見た事が無いので、素直に驚きました。

さて、諸葛亮が亡くなったので、倭を滅ぼした後に出現した彼の息子である諸葛センを育てる事に。
諸葛センは大体70前半の能力なので、すぐに前線で活躍してくれるでしょう。

■劉禅の能力(アイテムを含む能力値)
統率97→102 武力60→67 知力66→76 政治43→50 習得22→27

統率がアイテムを含めてついに100を突破しました。
素の能力でも92と猛将と言って良いですね。ただ、育成ポイントが枯渇し始めてきたので、使い方には慎重にならざるを得ません。

もはや劉禅に非ず。

  • 2015.01.12 Monday
  • 22:34
どうも、サブです。

今年最初の通常営業ですが、諸事情がありまして本日からとなります。

さて、まずは烏丸についてですが、236年4月上旬に宣戦布告して同年同月下旬に陥落させました。
強いて書く事があるといえば、劉禅の幻術で20000を超える烏丸の城兵が消滅した事でしょうか。
尚、諸葛亮の幻術では36000余の城兵が消滅しました。丞相は凄い。鍛錬あるのみ。

残るはです。
倭は外交関係を放置していたら宣戦布告をしてきたので相手をしています。
呉については、相変わらず攻め寄せては撤退を繰り返しています。

また、236年8月中旬にイベント・山陽公が発生し、238年7月上旬にはイベント・封禅が発生しました。
封禅は行うだけで能力値がそれぞれ5も上がるので、劉禅を育てている私にとっては嬉しい限り。

238年は劉禅の子である劉センが出現する年。
劉センの初期能力は統率15武力53知力36政治51と、こういうお世辞にも高いとは言えない能力ですが、親が親なだけにこの能力が高く見えてしまいます。
尚、今後劉センは劉禅と共に行動し、且つ護符も優先して持たせる事とします。

また、曹丕が亡くなりましたので、曹丕の所持しているアイテムが全て劉禅のものになりまして。
中でも孫子の兵法書というお得アイテムも劉禅のものになりました。孫子の兵法書は統率が唯一+10になるアイテムです。
孫氏の兵法書は最初に所持していたのは孫権でしたが、かつて魏軍は呉の君主である彼を捕えて処刑したので、その時の魏の君主である曹丕の物となっていました。

それでは、劉禅の能力について見ていきましょう。
■239年8月現在の劉禅の能力(アイテムを含む能力値)

統率87→97 武力46→60 知力57→66 政治29→43 習得10→22

まず、アイテムの能力補正ですが、今回から能力値に含めました。全て+10となった事によるものです。

それにしても、封禅の力は伊達ではありませんね。全ての能力値が+5というのは強大です。
統率がアイテムを外した状態でも87と、初期とは別人ですね。
でも、兵法を喰らうと「わわわ」と情けない声を出すのは相変わらずですが。

また、能力を上げる時の台詞は変わっていないのですが、初期よりも今の方がより説得力がある様に思えます。
例「この乱世を乗り切るには自らを鍛える事が大事だな」

羌と対峙す。

  • 2014.12.29 Monday
  • 21:46
どうも、サブです。

南蛮の次は羌を標的に定め、まずは兵を羌付近に輸送していました。
対南蛮戦の反省を生かして今度は40万近くの兵で以て戦います。

ちょうど兵を輸送し終えたところ、235年5月上旬に羌が宣戦布告してきたので、武将をそれぞれ付近の城塞に派遣して羌に攻撃開始。この時点での宣戦布告は計算外でした。
さて、羌軍は西平に攻撃を開始。2万の兵で対抗しましたが、城兵よりも城壁が溶ける様に削れていく。偽報で彼らを何とかかわしつつ、合計35万という大部隊で羌の城壁を西平より早く破壊し羌を滅亡させました。衝車は強い。

後半から偽報でかわしましたが、前半に少し痛めつけられた西平の城壁耐久は20(最大は700)になっていました。あと一撃で陥落するところでした。危ない。

今回は南蛮の時とは違い、呉によって攻められて兵を分ける事がありませんでしたので、特に書く事も無くあっさり滅亡。
次は烏丸攻め。劉禅の封禅も出来れば予定しています。

久しぶりに、劉禅率いる蜀軍でリプレイ。

  • 2014.12.23 Tuesday
  • 00:27
どうも、サブです。

久しぶりに劉禅編をロードしたら、思っていたよりも進んでいて驚きました。
ただ、2年余もやっていないので、記憶が断片的なのも仕方が無いかな。

さて、234年1月から再開しましたが、早速北海のみとなった魏を滅ぼして40人余の武将を傘下に収め、呉に対策としては長江より北の拠点の殆どを制圧しました。最後の更新時(前回のもの)には落とされているとは一言も触れていませんでしたが、襄平は既に諸葛亮によって落とされていました。

主に盧江付近の尋陽港、江陵付近の江津港に呉の艦隊が何度も攻めて来ますが、今のところ全て防いでいます。
また、劉禅を育てる目的も兼ねて、なるべく劉禅を先頭に参加させています。統率はアイテムとの合計が87と充分上がっており、もはや劉禅ではない感じです。知力はアイテムと合わせて57ともう少し上げる必要がありますね。今は副将頼みとなっています。

8月から南蛮に宣戦布告。我が軍の対南蛮兵力は23万余で建寧に11万、永昌城塞に9万、雲南に3万を配置。対する南蛮は35万余。少々不利ですが、諸葛亮を始めとする知者を建寧に派遣するなど当然ながら人材では負けておりません。
初期の攻撃隊は、趙雲とその息子たち、徐庶と艾で構成された趙雲隊。孟獲と祝融で構成された孟獲隊。阿会喃、帯来洞主、金環三結で構成された阿会喃隊で、結果的に何度も出陣した趙雲隊は永昌城塞の兵力9万の殆どを使って戦いました。

建寧からも同時に出陣させる予定でしたが、呉軍が9万余の兵力を2部隊に分けて建寧に攻めてきた時は焦りました。建寧から出陣させると後に落とされる恐れがある為です。
1部隊を逃がすなどしましたが、とにかく呉に対して打撃が与えられたので、南蛮との本格的な戦闘に取り掛かりました。

初期部隊は建寧付近で呉と交戦している間に消滅し、趙雲隊が撤退した永昌城塞に南蛮軍が攻めかかりましたが、偽報で撤退させることに成功。
その後、雲南を攻撃目標に定め、攻撃を開始。その隙に趙雲隊、劉禅隊、諸葛亮隊で南蛮に進発。雲南に向かった南蛮軍には偽報を仕掛けつつ、234年11月中旬、南蛮を陥落させ滅亡させました。初期部隊で城壁耐久が1/3、劉禅の親征前で1/2と大幅に削っていたというのが大きいです。

攻城戦を行っている際に劉禅の幻術で10000以上の兵が消滅した時は驚きましたが、偽報を使っていたとはいえ、兵力が20万余といつもより少ない事もあり、近隣の雲南と建寧、特に雲南の被害が大きくなってしまいました。

■劉禅の能力値
(アイテムを含めた前回値→現在値+アイテム補正)
統率86→79+8 武力44→41+5 知力54→47+10 政治22→21+8 習得10→10

開始からゲーム内で10年が経ちましたが、劉禅はだいぶ成長しました。
あと3年で皇太子の劉璿が登場するはずですので、その時までに統率以外を上げていきたいですね。
 

烏丸でクリア。

  • 2014.12.09 Tuesday
  • 23:56
どうも、サブです。
思っていたよりも間が空いてしまいました。

さて、今日は三国志修里話です。
あまりにもやっていないので、試しにクリア間近のセーブデータをロードしました。

結果からお話しすると烏丸で全ての勢力を滅ぼすのですが、豊富な物量を既に持っていましたのでゴリ押しでクリア。
ただ、後継者問題などが影響して、ベストエンディングは迎えられませんでした。

次は途中で止まっている劉禅のクリアを目指します。
これはまだ後継者が出てきていませんので、長期戦になる事は確実です。

時は流れて・・・。

  • 2012.07.02 Monday
  • 23:43

どうも、サブです。


呉が我々に弓を引いてきたが、戦闘は膠着状態。
共に魏に攻め込み、領土を切り取っていった。

231年の事である。


だが、このままでは厄介な事になると考えた諸葛亮は、魏延・姜維らに別働隊を率い、呉領の江夏・新野・襄陽・江陵を攻め落とすよう命じた。

まず目標となったのは、やはり新野だった。
魏延と姜維が新野を攻撃した時には、襄陽からの援軍がやってきたが、物量で押し捲ったので、容易く落ちた。

次に目を向けたのは、襄陽だった。
まず先鋒となった姜維が襄陽を攻撃したが、江陵からの援軍が襄陽に到着。
しかし、姜維はこれをものともせず、襄陽を落とす。

これを聞いた諸葛亮は、一人で充分と判断したので、魏延に江夏攻めを命じた。


襄陽を落としてから暫くして、江陵からの攻撃勢45000がやってきた。
大将は徐盛である。

姜維は城を出て戦い、勢いに乗って徐盛に一騎打ちを仕掛けた。
だが、これが裏目に出て、姜維は敗れ、軍は瓦解し、襄陽すら落とされてしまう。

諸葛亮はこれを聞いて、すぐさま李厳に、永安の兵のうち10万余の兵を率い、江陵へ攻め込む様に命じた。

江陵はがら空き同然だった為、攻めるに易かった。
しかし、援軍が南や東から次々と来て少々てこずるも、最後は物量で江陵は我が領土となった。



その後は、取り立てて書く事は無いが、蜀は順調に領土を拡げていった。



上記は、232年の図。


劉禅の能力(アイテムを含めた前回値→現在値+アイテム補正)
ついに限界に達してしまったので、限界値は無し。

統率48→78+8 武力24→39+5 知力39→44+10 政治20→14+8 習得9→10

そろそろ統一も近づいてきたが、懸念事項が一つ。
後継者がいないのである(^^;

長男である劉璿が元服するのが238年なので、あと6年待たなければならない。

諸葛亮が死ぬ234年まであと2年なので、アイテムでも拾い捲るか・・・。
馬超は未だに健在ですけど(^^;

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